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両親と「慰労会」の名目で松阪にあるうなぎのたちのでひつまぶしを、夜にドミノピザで終了した一日でした

こんにちは、散花月です。

さて本日はちょっと事情がありお昼にうなぎのたちのでひつまぶし(2,700円+ご飯大盛り100円)を。
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↑こちら、何気に近くにある鳥焼きの新家と同じく注文がタブレットになっているのがビックリでしたw

夜にドミノピザでビール片手に両親と盛り上がった1日でした。
両親と「慰労会」の名目で松阪にあるうなぎのたちのでひつまぶしを、夜にドミノピザで終了した一日でした 両親と「慰労会」の名目で松阪にあるうなぎのたちのでひつまぶしを、夜にドミノピザで終了した一日でした
…考えてみればお昼と夜に外食をした記憶はこの数年記憶に無いなと思ってはいます(^_^;)
では何故これだけの事をやったかというと、マストドンでも投稿した通り18日の20時頃に長年連れ添った我が家の居候が天寿を全うしたためです。
両親と「慰労会」の名目で松阪にあるうなぎのたちのでひつまぶしを、夜にドミノピザで終了した一日でした
↑2013年ごろの元気な姿。

私と同じいわば「ボル友(身体にボルトを入れた友達)」だったウチの黒猫でしたが実は事故に遭って手術をした段階ですでにアウトかどうか?の瀬戸際な状態でした。
そこから奇跡的に這い上がり約6年間一緒に生活をしていたんですが、やはり老衰には抗えず。
3人が見ている前で静かに旅立っていきました。
両親と「慰労会」の名目で松阪にあるうなぎのたちのでひつまぶしを、夜にドミノピザで終了した一日でした
↑2014年ごろの写真。膝の上に乗るのも好きでした。

思えばウチに来たときからいわゆる元野良の「ヤンキー猫」で子供は作るわ嵐でも外へ出たがるわで本当に大変だった記憶がよみがえります。
ただ事故でボルトを入れてからは基本家にいるようになったのでようやく落ち着いて居座るようになりました。
このタイミングで元々猫嫌いだった父が餌をメインで与えてきたらすっかり懐いてしまったのは今でも笑い話です。

そんな紆余曲折があり今に至ったんですが、
何にしてもまだ良かったかなと思うのは唐突な病気(ガンなど)ではなく老いて最終的に去って逝った事だと思ってます。
人間も同じですがずっと痛い思いや苦しむのは流石に見ている側もしんどいですので。
その点ではウチの猫は最後までしっかりしていたんだなと改めて尊敬します。
両親と「慰労会」の名目で松阪にあるうなぎのたちのでひつまぶしを、夜にドミノピザで終了した一日でした

というわけで、私も翌日からハードな仕事が始まるのであまり書くとしんどくなるためここまでにしときます。
ウチにいたウサギ2匹、そして猫2匹の思いは自分が死ぬまで忘れません。
引きずるのでは無く、思いを活かして最後まで生き抜こうと思います!

では失礼いたしますm(_ _)m


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